2日目〜3日目 (3/13〜14) |
2日目の当初計画は「熊瀬王子」〜「熊野本宮大社」の17.5km間を歩く予定だったが、最終日の帰路の長距離走行も配慮し、行程を「発心王子」〜「熊野本宮大社」に短縮する下記の 2日目〜3日目計画に急遽変更。 |
|
3月13日(水) 5時、「発心門王子」に着いたが、辺りに「発心門王子バス停」が見当たらず・・?? 王子へ到着する手前300m辺りの横道を指して 「発心門王子・駐車場→」標識があったのを思い出し、これに従うと駐車場広場にバス停。 広場の「休憩所」横に車を置き、暫くは出発の時間調整。 5時36分、「←発心門王子」標識に従い、ランプを点灯して駐車場を出発。 |
<2日目の熊野古道歩きの実績> |
|
5時41分、暗闇の中、約400m先の「発心門王子」に到着。 「発心門王子」の御堂をヘッドランプで照らしながら参拝をすませ、 2日目の「熊野古道あるき」を開始。 「水呑王子→」標識に従うと、熊野古道はマイカーを置いたバス停経由で東に向かっていく |
|
|
東の空が赤らみ始めた。 一時、車道に合流したが標識に従い、すぐに「←熊野古道→」と表示された道へ分岐し、杉林の中の舗装林道を進む。 6時12分、変形四差路横に「水呑王子跡」標識。 「伏拝王子1.9km→」標識に従い、石畳道で杉林へ進む。 |
|
|
6時34分、森から里に抜けだし、「伏拝王子→」標識に従って車道へ進む。道脇に梅、桜、雪柳が花を見せる。 6時51分、「伏拝王子跡」に到着。 |
|
|
|
|
休憩所横の高台に上ると南東に視界が開け、 熊野本宮大社の辺りに霧がたまった美しい景観が望めた。 先へ下る。徐々に方向を南へ変えながら幅広の砂利林道を下っていく。 |
|
7時13分、舗装林道の三叉路上を吊橋で通過し、続けて三軒茶屋跡の休憩所を通過するとコースは「熊野本宮大社2.1km→」標識地点から山へ上り始めた。 緩い上りで50mほど高度を上げると道脇に「ちょっと寄り道→」看板。 これは大斎原の展望台への道だと、左の山道へ分岐。 |
|
7時38分、南東に視界が開けた展望所に立つと・・、南の積層した熊野の山並み手前の薄霧越しに「大斎原の大鳥居と熊野川」。 先へ下る。 7時57分、朝日を受けた「祓戸王子」石碑前を通過し・・・、 |
|
|
|
|
熊野本宮大社の裏鳥居から境内に入って各社殿を参拝して 「熊野古道・中辺路あるきを完了」とし、 残りの熊野2山の観光に移ることにした。 |
|
|
8時13分、「発心門王子」に置いたPRIUSに戻るため、「世界遺産熊野本宮館」のバス停に移動。 8時29分、「発心門行き始発バス」発車。乗客は4人の外人を含め、10人ほどで皆、古道歩き目的らしい。 8時50分、「発心門P」に置いたPRIUSに戻り、「熊野本宮・大斎原」を目指す。 9時21分、熊野本宮大社の主祭神「家津美御子大神(けつみこおおかみ)」が降臨したという「大斎原(おおゆのはら)」参拝のため、車を河原Pに移動・駐車し、河原側から大鳥居を目指す。 |
|
「大斎原」入口の高さ34mの巨大鳥居を通過。 境内の「大斎原の由来」説明板に依れば・・ 崇神天皇の御代、旧社地大斎原の 檪(いちい) の巨木に三体の月が降臨。 |
「大斎原」の一段の高みには2つの石祠が並び、左が熊野権現8柱、右が元境内摂末社とのこと。(境内は撮影禁止とのことで (http://www.hongutaisha.jp/worship/) より借用。 9時40分、次の目的地「熊野速玉神社」を目指し、熊野本宮大社を後にする。 10時30分、新宮市の「熊野速玉神社」に到着。 |
|
|
境内の解説板に依れば 「熊野速玉神社」の主祭神は 境内には樹齢1000年という「梛(なぎ)」の御神木もあった。 全社殿を参拝後、「神宝館」で御物を拝観 (500円/人)。 11時10分、「熊野速玉神社」を後にし、500mほど離れた「神倉神社」を目指す。 |
|
|
11時30分、「神倉神社・駐車場」に車を残し、朱塗りの橋先から538段という石積階段を上る。 山頂部は天磐楯と呼ばれる岩盤帯の上に巨大な「コトビキ岩」が鎮座し、その手前に朱塗りの「神倉神社」。 新宮市観光協会のHPに依れば 12時10分、次の目的地「那智大社」を目指す。 |
|
|
12時40分、立地の良い「和か屋本店P」に駐車し、473段という石階段を上って「那智大社」を目指す。 12時55分、「熊野那智大社」と隣の「青岸渡寺」を参拝し、境内から北に見える「那智の滝」を撮影後、更に青岸渡寺の三重塔へ近づいて滝を撮影。 |
|
|
(那智大社の大まかな由来は・・ 紀元前662年、丹敷浦(現在の那智の浜)に上陸した神日本磐余彦命の一行は前方に光り輝く山を見つけ、那智御瀧を探りあてられ、その御瀧を大己貴命(おおなむちのみこと)の現れたる御神体としてお祀りされ・・(中略)・・仁徳天皇5年(317年)、山の中腹にあらためて社殿を設け、熊野の神々・御瀧の神様をお遷し申し上げました。これが熊野那智大社の始まりとされております。) |
|
13時20分、車に戻り、今夜は帰路途中の道の駅か高速道のSAで車泊することにし、カーナビに自宅を目的地にセットすると、距離545km、所要時間7時間7分と表示。 国道42から尾鷲市の紀勢自動車道に入り、伊勢自動車道、東名阪自動車道、伊勢湾岸自動車道と進み、薄暗くなったので「御在所SA」で車泊・したが・・・・ 集団トラックの排気音が酷くて眠れず、次のPAへ移動して車泊しかけると、又、隣に消防車が入車してエンジンを停めないので、再度「掛川PA」まで走って車泊し、 翌朝7時、無事帰宅。 |