昨年10月末、毒虫(?)にでも刺されたのか、左腕が腫上がり、3週間もの入院・点滴治療を受け、その後も通院治療を続けている。
上腕の腫れは引いたが左掌の腫れは年末に至るも残ったままで年が暮れた。

治療に専念している間に2ヶ月が経過し、季節は移り既に冬真っ盛り。

 

体力ばかりか気力も低下し始めた感があり、思い切ってマロンとの山歩きを再開することにした。

最初の山は体力低下と林道などの残雪情報不足の点を考慮し、安全第一で秩父の里山「丸山」に決める。

◇所要時間:4時間1
◇難度(マロンとして): 易++▼++難
◇マロンの日記: 
山道は段差が無く、木々は葉を落としてしまっているので見通しがよく、歩き易い山でした。山頂の展望台はマロンには何か不気味で長居できませんでした。

 

4時、2ヶ月ぶりの山行にはしゃぐマロンをなだめながら家を出る。夜空には星。

従来のように名栗湖経由で国道299号線に出る様にカーナビをセットしたが、名栗湖からの山越え舗装路の凍結が心配になり、飯能市経由に変更。

予想外に順調に走り、6時前に芦ヶ久保駅に到着。今日の日の出は651分とのことでまだ真っ暗。

歩くのには暗すぎるので事前に車で登山口地点を確認することにした。駅から国道に出て僅か戻り、交差点を左折。舗装路の坂道を67分上り、三叉路の路肩に「登山道→」「丸山→」標識を見つけ、駅に戻る。

 

620分、芦ヶ久保駅前の駐車エリアに車を残し、リハビリ目的の山歩きに出発。

 

国道299号線の最初の信号を左折した後は、太い舗装路を道なりに登っていく。

650分、急角度で右に舗装路が分岐している地点で「登山道→」標識を確認し、これに進んで、火の見やぐら先の「県民の森、丸山→」標識地点から山道に入る。樹林の中を登って尾根筋を進む。

 

やがて左から日向山方面より登ってくる道が合流。このあたりから山道幅が5mほどに広がる。地図には「気持ちのよい防火帯」と書かれていた。

749分、山頂に近づいた為か、山道に風が吹き込み始めて寒い。温度計は−1度を表示。3分程先で太い舗装路を横切る。地図をよく見ると舗装林道が丸山の山頂を回るように設置されているのを知る。

81分、「県民の森」看板の立つポイントに到着。

看板によると山頂の北東一帯に丸太つくりの遊具などが設置され子供づれには楽しめるところらしいが、私達はそのまま尾根伝いで「丸山」を目指す。山頂北斜面には僅かに残雪が見られた。

進路は下り始めて前方より朝日が差し込む。

 

15分ほど進むと前方の山頂にコンクリートの塊のような建造物が現れた。

820分、「昭和55年度 財団法人 日本宝くじ協会 寄贈」プレートの掛かったコンクリート製の見晴台のある「丸山」山頂に到着。

展望台屋上に上ってみると雲ひとつない寒空の下、東以外に展望が得られ、南の「武甲山」を中心に山並が広がっていた。

 

設置の山座表示盤によると周りに見える山々は既に登ったことのある丹沢山系、大岳山、蕎麦粒山、天目山(三ツドッケ)、大持山、白石山、甲武信ヶ岳、八ヶ岳、両神山、二子山等であった。

あまりに寒くて、山頂での恒例行事にしている「赤飯ムスビ」を取り出して食べる気力が湧かず、830分には展望台を後にして下山開始。

 

845分、太陽に向かって尾根筋を下る。陽だまりで小休止してムスビを取り出し、食べながら下る。

854分、自然林の中の三分岐点で「大野峠→」標識を見つけ、右折し下る。5分ほど下ると、南東方向の斜面の木立が切り払われ、前方が丸く切れ落ちている地点に出た。

パラグライダーの出発ポートらしい。今は無人であるが、朝日に向かって空中に飛び出すのはいかにも気持ち良さそうな感じ。私達は休まずに下山続行。

94分、太い舗装路の三分岐地点に降り立つ。標識は無いが、地図で「大野峠」であることを確認し、更に前方の森の中に進む。

陽の差し込まない寒々しい杉林の中の下りが続く。

930分、沢地点で小休止。相変わらずの杉林を下っていくと、杉林の下草の中に野生のお茶の木が目立ち始め、更に下るとお茶畑が現れた。

 

956分、「赤谷」集落に出て、3分ほどで国道299号線に合流。この地点には大野峠に向かって「大野峠 丸山→」標識が立っていた。

ここからは国道299号線脇の歩道で駅を目指す。森の静かな環境に馴れてしまっていたので列をなして爆走してくる自動車群にはマロンも私達も緊張を強いられた。

1021分、芦ヶ久保駅に戻る。

快晴の空の下、2ヶ月ぶり、ジャスト4時間の山歩きは無事終了。残雪を予想して軽アイゼンも持参したが、山頂の北側に僅かに残雪が見られた程度で、山頂から望めた周りの山々にも残雪は見られず、今後の山行に参考になった。