このところ、残雪の心配がなくて近場で新規の山が見当たらず、5年ほど前に初代マロンと登った「九鬼山」を妻に提案。
この山は前回、山頂で雨と霧に包まれ何も見えなかったため、どうも登った気がしない山なのだ。

これに対し”折角なら新規の山が・・” が妻の希望。・・・ならば、大月の方から「馬立山」を訪ね、余力があったら「九鬼山」まで足を伸ばそうということになり次回の山行計画が成立。

◇所要時間: 6時間53(内、1時間11分はミスコース挽回分)
◇難度(マロンとして): 易+++▼+難
◇マロンの日記:
 距離の長い山行でしたが変化があって楽しかった。帰路では何故か同じ道を行ったり来たりさせられて変な具合でした。

 

430分、家を出る。快晴の夜空に星。相模湖経由で国道20号線を大月方向に進み、猿橋駅の1.5kmほど先でカーナビに従い細い左折路に進む。厄王権現の参道らしい道を800mほど南に進み左折路先に木の四合目鳥居を見つけた。近くに大きな空き地があるが鎖で閉鎖されており駐車余地は2台分ほど。あたりに登山標識は見当たらない。

念のため、林道終点まで車を進めてみたが、標識類は一切無いので鳥居前に戻り駐車。地図記載の登山コースは鳥居を潜って進む山道と判断する。

 

644分、鳥居を潜ると山道は山腹に続く。杉・桧の森の中は見通しが悪くマロンはひも付き。10分ほど上ると六合目標識近くに大月市の登山ガイド標識が立っていた。

657分、「厄王山七合目」の石標識通過。ほぼ一定勾配の山道を登る。やせ細った木の鳥居先で「八合目」標識を通過。

712分、岩が積み重なった急坂上の露岩にコンクリート造りの「厄王山」のお宮があった。

北西に大きく視界が広がり、青空をバックにして小金沢連嶺の山々が朝日を浴びていた。

 

5分ほど休憩し、足場の悪い山腹を南に進む。

721分、「厄王山(御前山)」を左に巻くと太陽が差し込んできた。大月市の標識横の「岩殿クラブ」の名入り手作り標識には「馬立山40分」「九鬼山160分」「厄王山3分」「菊花山60分」と記されていた。
「菊花山」の山名は手持ちの昭文社地図、国土地理院地図に記載が無く???

左から朝日を浴びながら富士山に向かい尾根を進む。

 

前方には山頂にアンテナが立つ三ッ峠山、右手には滝子山、黒岳、雁ヶ腹摺山などの小金沢連嶺の山々が朝日を浴びて春山の雰囲気。進路に現れる大岩は巻いて進む。道脇には僅かに残雪。

739分、「沢井沢ノ頭」に登りあげると前方に「馬立山」が姿を見せた。歩き始めて一時間経過した頃、「馬立山」手前の下りに入る。

 

749分、「馬立山」への上り開始。なかなかの急坂。最後の上りは東斜面を回り込む。

 

755分、今日の第一目標の「馬立山」山頂に到着。

記念写真を撮りザックを下ろし一息つく。

時間と体力に余裕があるので富士山の左に形良く見える「九鬼山」まで足を伸ばすことにし山頂を後にする。

810分、東西に伸びる尾根の途中から「札金峠→」標識に従い虎縞ロープの張られた高度差100mほどの急斜面を南に下り、少し先で20mほどのピークに上る。ピークを下ると太陽が差し込まない暗い桧林に入る。

 

830分、峠地形の窪地に昔の「札金峠」標識と「九鬼山2.5km ファイト1時間10分」標識が立っていた。

その先の林では多くの松倒木。松くい虫の犠牲らしい。

 

837分、桧林の中に「田野倉駅→」への下山コースが分岐する現在の「札金峠」の標識が立っていた。小休止してバナナでエネルギー補給。こちらの「札金峠」には太陽が暖かく差し込んでいた。

更に「九鬼山」に近づくと北斜面に残雪が見えた。

858分、昭文社地図に「紺場休場」と書かれている小広場に出た。

現地には「紺屋の休場」との看板が架かっていた。

西に展望が得られて小金沢連嶺が良く見える。広場のロープで囲われた場所はお花畑らしい。この先で進路は左に大きく回りこみ始めた。

この地点に来ると、コースの大迂回理由は九鬼山の北斜面がかなりの急傾斜で直登困難なため、先ずは山頂下の大きな窪地地形を左に横切って山頂から東に張り出した尾根に上り、その尾根筋で山頂を目指すようにコースが作られているのが良く分かった。

92分、北斜面の窪地の残雪は凍っていた。4本爪アイゼンを装着し山腹の痩せた道を慎重に通過。・・していくのにマロンだけは雪の付いた斜面を駆け上り、走りおりて遊んでいる。面倒が見切れない無謀犬だ。

921分、東に延びた尾根に登りつき尾根筋で山頂を目指す。尾根道に雪は無くアイゼンを外す。

928分、一段上りあげたら山頂は更に先で山頂への最後の上りは残雪が凍っていた。またアイゼンを装着。

943分、「九鬼山」山頂に到着。

 

山頂には「大月市秀麗富岳十二景」看板が立っていが富士山は樹間から僅かに覗ける程度。山頂からの展望は西の三ッ峠山から北の小金沢連嶺への山々が望めた。山頂には僅かに残雪。

景色を楽しんでいたら南から同年輩の登山者が上ってきて彼の勧めに従い100mほど南の富士見平に進んで冬の富士山に対面。

101分、山頂に戻り往路で下山開始。

上りでアイゼンを履いたところでアイゼンを脱ぐ。

1030分、「紺屋の休場」で小休止して地図を広げる。

雲ひとつ見えない青空の下、三ッ峠山、御坂山と黒岳、尖った釈迦ヶ岳、どっしりした滝子山、大蔵高丸、雪の付いた大菩薩峠等々、いずれもマロンと訪ねた山で懐かしい。

小休止後、太陽を背に受けて枯葉を蹴散らして気持ちよく北に向かう。このあたりの松も倒木が多かった。

 

1048分、新しい札金峠を通過し、杉林の中に上りが始まった。帰路の上りは結構キツイ。

111分、高度50mほどを上げ、暫くは平坦路を進む。汗ばんだ体に北風が気持ちいい。

1110分、「馬立山」への100mの上り。10分ほどで一段上りあげて小休止。方向を東に変えて山頂を目指す。

1132分、「馬立山」山頂に戻る。

1149分、「沢井沢ノ頭」通過。前方に「厄王山」が見える。北の高速道路越しに見えるのは以前登った百蔵山や扇山だろうなどと話しながら前進。(後で気づいたが、ここでコースミスして左に下る尾根(菊花山への道)に進んでしまった。)

前方の厄王山(この時点で菊花山を厄王山に見間違ったらしい)を目指して桧林を下っていく。大月の町あたりから12時を知らせる音楽が聞こえてきた。

124分、右の山腹に小道が分岐する往路では見た覚えの無い三叉路に出た。分岐点には例の「岩殿クラブ」のガイド標識があり、現地名は「沢井峠」、直進は「菊花山頂25分」、右の小道には「厄王山登山口へ25分」、後ろへは「九鬼山3時間20分 厄王山1時間10分」。

沢井峠、菊花山、厄王山登山口の名前は地図に記されておらず、周囲を樹木に取り囲まれているので私たちがなぜこんな地形の現在地にいるのかが分からず、地図を広げて考えるが納得出来る考えが浮かばない。

 

1225分、仕方なく樹間に見える岩殿山を基準にして右の小道に進んでみたが道は岩殿山と逆方向に進み始め、おかしいと考え、三叉路に戻って菊花山方向へ進んでみる。

1242分、明らかに往路では見ていない景色の中のいるのが分かり、三叉路に戻ったが他に手段が見当たらず再度、菊花山へ方向に進む。

1250分、菊花山手前のピークまで上って振り返ると「馬立山」から「厄王山」への稜線がはっきりと見え、私たちは「沢井沢ノ頭」から北に派生した尾根に入ってここまで下ってしまったのが見て取れた。・・・とすると、あの三叉路の「厄王山登山口」というのは「四合目鳥居」あたりを言っているらしいことに気づき三叉路に向かう。

 

115分、三叉路に戻り、自信を持って「厄王山登山口」への小道に進む。山道は沢筋の桧林の中を九十九折で下り始めた。

130分、朝、車で方向転換した林道の終点に出た。

137分、車に到着。

315分、無事帰宅。今回はいろいろ反省事項の多い山行だった。