年末年始のあわただしさのうち、安易に日々を過ごして気が付けば前山行から3週間が経過。

毎日、マロンの散歩に付き合ってはいるが心なしか筋力低下が感じられるようになったので久しぶりに山行する気が起こる。

主目的は体力作りなので冬でも安心して楽に歩けそうな山はと手持ち候補を物色して身延山のハイキングコースを選択。

 

◇所要時間:4時間35
◇難度(マロンとして): 易++▼++難
◇マロンの日記:
 勾配の少ない歩きやすい道でしたが山頂に近づくに従い道の雪が凍っていました。
3
年ほど前に熊が目撃されたとの注意看板がありましたが、今日は雌鹿を一匹見かけただけでした。

 

350分、半月と星空の下、家を出る。中央高速を使い甲府南ICを下り、国道14052号線で富士川沿いに南下。

身延町に入り、県道805号線で身延山久遠寺を目指す。暗い町中を抜けて三門前を通過しロープウェイ駅下の有料駐車場に車を入れる。日の出にはまだ30分ほどの間があり、ゆっくりと出発準備。

 

632分、歩ける明るさを見極め出発。先ずはロープウェイ乗り場に向かう階段を上り、ロープウェイ駅を左に見送り右のお堂の方に進む。お堂からは日蓮宗の太鼓の音と朝の勤行の声が響いていた。

 

道脇の「奥の院参道→」標識に従い簡易舗装の坂道を上っていく。久しぶりの山行のせいかマロンは浮ついているので最初からリード付き。

いくつかのお堂や墓石の前を通過して上っていく。西空には半月、その下に「七面山」らしい雪の稜線がチラリ。日の出の時刻に近づき南東の空が明るくなってきた。

652分、路肩に「16丁」と彫られた石標識のあるあたりで丈六堂前を通過。体が温まったのでヤッケとフリースを脱いだが手袋は離せない。

 

718分、ミツマタが黄色の花を咲かせている大光坊前を通過。進路は左に曲がって杉林に入り砂利林道に代わった。道脇には26丁目の標石。

青空をバックにして崩壊壁面に付けた雪を朝日に光らせた「七面山」が形良く見えるようになった。

南の山並みの上には富士山が山頂だけを見せる。

741分、北に視界が開け八ヶ岳が姿を見せた。と同時に冷たい北風が吹きこんで耳が痛いほど冷たくなり耳覆いを装着。

路面の残雪の表面は凍っている。東にも視界が得られ富士川が見下ろせる。

少しずつ勾配がきつくなってきた。

 

759分、無人のお堂(お水屋)前に着いた。お堂横の「日朗上人井戸由来之碑」には

岩根藤蔓をたよりに攀じ登った五十丁、身延山頂に立たれた日蓮大聖人は遥かに故郷房州の空を伏し拝み、亡き父母の菩提を弔い、在りし日の思い出を弟子等に語ろうていられた時、山登りのお疲れで喉の渇きを覚えられた様子を拝した日朗が水を求めて草木を分け、谷を下ること十丁余、やっと見つけた岩清水???き竹筒に汲み再び山頂へ駆け戻り、大聖人に捧げると御悦び一方ならず、その水を推し頂いて飲まれ、他の弟子等にふるまわれました。これより山頂に登る毎に日朗がこの岩清水を汲んで大聖人に捧げたので、後にここを日朗の井戸と呼び、お堂を水屋と称して日朗上人の師孝を偲ぶ縁となっています。   身延山九十世 日勇  撰書

と書かれていた。

 

徐々に増え始めた残雪をザクザク踏みしめて上っていく。83分、41丁目通過。気温は変わらずマイナス2度。

821分、50丁目の「奥の院」に到着。

南に見晴らしが得られ眼下に富士川、その先の山並みの上に富士山が望めた。

山頂には人の気配は無いのでマロンをフリーにし、ムスビとドックフードでエネルギー補給。

 

830分、奥の院の正面に回わる。日蓮上人お手植えと書かれている2本の大杉は結構立派。

奥之院・思親閣に参拝後、私たちは登山目的で登ったので山頂は?と周りを見回し、奥の院裏のピークが一番高そうだと杉林に入りピークに立ったが山頂標識は無い。

では下山路は? とあたりを見回すとピークの北側下に雪の広場が見え、その一角に「身延山山頂」の標識が見えた。

林を抜け出すとそこは展望台らしく北方に180度の大展望が待っていた。冷たい北風に吹かれながらも設置されていた山名図示板と前方の雪山を見比べながら展望を楽しむ。

山名図示板にはこれまでに訪ねた茅ヶ岳、赤岳、鳳凰三山、富士見山、白峰三山、塩見岳、荒川三山が見え、
登っていない山では笊ヶ岳、上河内岳、七面山が見えた。

北風があまりに冷たくてムスビを取り出す気力も失せて展望台を後にして林に戻る。

848分、林を抜けるとロープウェイ駅前に出た。駅舎からは琴の調べが流れて正月らしい雰囲気。「裏参道→」標識を見つけこれを下ることにしたが、下山路の簡易舗装路面の残雪は北風を受けて凍っていた。危険を感じ、軽アイゼンを付けて下山開始。

ザクザクと小気味良い音を立て快調に下る。氷の坂でもマロンは不思議にスリップせずに下っていく。

914分、舗装路が砂利道に代わり残雪が減った。マロンの臭いを嗅ぐ動作が激しくなり落ち着かない。少し先で左下の杉林の中を雌鹿が一頭走って消えた。足跡もフンも見られないのに鹿がいるとは思わなかった。

 

918分、陽だまりを見つけ小休止して山頂で食べそびれたムスビを食べる。

926分、下山道が南斜面に移ったのでアイゼンを外す。傍らに立っている標識の中には「七面山表参道→」標識も見られた。「七面山」は日帰りではキツイ山と聞いているが、眼前にその山体を見せつけられたのでマロンの登山候補の山に登録することにした。

939分、大杉の多い所だと思いながら下ると「身延山の千本杉」の解説板が立っていた。

県指定天然記念物
身延山の千本杉

種類、スギ、久遠寺所有で面積・・・・本数は約二百本余り、・・・樹齢は二百七十五年以上、木の大きさ・・・大きいものは胸高周囲三メートル内外、ときには五メートル以上のものもあり、樹高は五十五メートル内外、おそらく樹高の大なることでも県下まれに見るものであろう。・・・造林学上貴重な資料として、昭和三十四年県指定の天然記念物となっている。   身延町教育委員会

と書かれていた。さらに林道を下ると林道から左下に分岐する小道に「松樹庵→」標識があったが私たちは林道を下る。やがて左から「松樹庵」からの道が合流してきた。あれは歩行者用のショートカットの山道だったと気づく。

 

1032分、林道から右下に分岐する山道に「妙石坊→」の標識。これもショートカット道だろうとこれに入り、山道を下る。6分ほどで先ほどの林道が合流してきた。

1039分、また林道から左の小道に「高座石→」標識がありこれに進む。

1043分、沢横に降り立ち、「妙石庵」横を通過。

お堂横に繋がれていた優しそうなコーギーがマロンに興味を示したのでマロンを近づけてみたがマロンはそ知らぬ顔でコーギーのお椀を舐めていた。花より団子か。

すぐ先に「高座石」の看板。傍らには曰くありげな大岩があり、傍らの解説板には

高座石

宗祖大士が建治年間に此の石上にて法華経の御説教ありし時一人の美少女が毎日の如く聴聞に来る事を同座の諸人が不思議と思う有様を悟り宗祖大士は花瓶の水一滴を与えたると少女はたちまちに本体龍身を現して西七面の岳方角へ舞い上がったと伝え七面大天女示現の霊場にて宗祖大士が説法の節使用せし石を高座石と称します。   妙石坊

身延川沿いに東に進み、観音橋を渡って洗心堂前を通過。その先の多くのお堂の前庭には春を待つ枝垂桜の木が多く見られた。

111分、今朝、車で通過した道路に合流し、「ロープウェイ→」標識に従い坂道を登る。

11時、7分、車に戻る。久遠寺はいつか桜の季節に再訪問して拝観することにし、立派な三門だけをチラリと眺めて往路を戻る。

145分、無事帰宅。