|
|
|
ガイド書で見つけた丹沢山塊南の「渋沢丘陵〜桜で有名な弘法山」ハイキングコース後半の「権現山」「弘法山」「吾妻山」を往復するコースを考えたが、権現山登山口には駐車できそうもないので、「弘法山」から「大山」への尾根途中にある「高取山」までを往復し、余力があれば「吾妻山」にも足を伸ばすことにした。 ◇所要時間: 4時間47分 ◇難度(マロンとして): 易++▼++難 ◇マロンの日記: 全般に歩き易い道でしたが、朝のスタート時点からマロンのザック紐が変な具合に前足に懸けられ歩きづらかったのに、なかなか気づいてもらえず疲れました。 |
5時、出発。 国道246を西進し、伊勢原市先の新善波隧道先を左折し、弘法山駐車場に向かう。 上にある第1駐車場はロープが張られており(・・後で、カナピラ付で入場可能と判明したが)、その下の第2市営駐車場(無料で20台程度の広さ))に車を停める。 6時40分、GPSをセットし、舗装路でスタート。気温は0度。 背後には今日の目的地「高取山」への尾根筋が大山まで続いて見えた。 |
|
|
|
「めんようの里」前を通過すると既に羊は外に出て草を食べていた。10分ほどで尾根に着き、幅広の尾根道で弘法山に向かう。 6時56分、「弘法山」山頂に到着。山頂広場には鐘楼や「乳の水」の遺跡があり、解説板には・・・ |
|
「弘法山の歴史 山名は弘法大師がこの山頂で修行したことから名付けられたとの伝承があり・・・と書かれ、また「弘法の乳の水」には・・・山頂に白色の水の湧く古井戸があり、これで粥を炊き食すれば乳が出るという信仰から「乳の水」と称して・・関東大震災の後に水が涸れ・・秦野市」と書かれていた。 6時58分、「高取山4km 吾妻山3km 聖峰4.6km」標識に従い、山頂を北に下る。犬連れ散歩の人と挨拶。 |
||
|
丹沢山塊の左に朝日を受けた富士山が見えた。 幅広山道を北に進む。道脇には「関東ふれあいの道」の標識。 7時11分、右に分岐する道に「鶴巻温泉→」看板。私たちは尾根を直進すると道は細くなり、山道らしくなった。 |
|
|
7時13分、尾根が「切り通し」で切断され、切り通しに下りると、「御夜燈」の石碑があり、「旅人の峠越えの安全のために、道標として・・・峠の茶屋・・明治の末期まで点灯し続けられた」と書かれていた。 また、尾根に上り北に進むと、進路標識は「大山 蓑毛→」と代わり、鶴巻と大山を結ぶこの「関東ふれあいの道」は「野菊と信仰の道」と書かれていた。体が温まったので水飲み休憩し薄着になる。 7時32分、前方に電波塔の立つ「高取山」が見える。やがて鹿柵扉、続いて「高圧鉄塔」下を通過。快晴予報は外れらしく、西に見える富士山頂は早くも雲に隠されていた。 |
7時45分、ピークに上りつくと「念仏山」の標識。 傍らの「念仏山の由来碑」には・・・村人たちによって、この山頂で念仏講が行われていた・・・」との解説文。更に北に進もうと鹿柵扉を抜けようとすると、その先は踏まれてない道で・・??。標識地点に戻り、右に方向を変えて鹿柵沿いに下る。空は8割方、雲に覆われた。 7時56分、上りが始まる。露出した木の根を踏みしめ登り、緩くピークを越して鹿柵沿いに下る。 |
|
|
|
8時10分、鹿柵から離れ進むと前方に大きな山体。コースはこの山の西を巻いて進む。空が晴れ始め、太陽が差し込む。 8時23分、「高取山」が高度差140mほどで眼前に聳えて見えた。上りが始まる。獣道が数箇所で山道を横切り紐先マロンの動きが激しくなった。露岩と木の根の浮き出た山道を息を弾ませ登る。 8時33分、右「聖峰25分→」標識地点。小休止して「小蓑毛→」標識に従い最後の上りにはいる。 |
|
8時39分、「高取山556m」山頂に到着。 東西に細長い山頂に電波塔が一つ。静かな山頂に薄日が差し込む。南には相模湾が光り、北には木立越しながら尾根続きで大山が聳えて見えた。 単独中年登山者が登ってきて挨拶。彼は更に大山へ登ると言い、「鶴巻温泉〜高取山〜大山〜日向薬師」コースが彼の体力作りコースで南アルプスなど歩く前には良くこのコースでトレーニングするんですと話していた。高度差1200mを越すので結構、タフな人らしい。 |
|
|
8時50分、往路で下山開始。「聖峰」分岐に戻り、「聖峰」へ立ち寄ることも考えたが、上り返しがキツソウなので見送り決定。今日のマロンは頻繁に伏せして休むので、体調が悪いのか??・・と心配していたのだが・・・ファインダーを覗いて気がついたが、ザックを留める腹帯が前足の前に懸かっていた。・・・長時間、随分、歩きにくかったのだろう。 9時33分、「念仏山」へ戻る。単独登山者2名と交差。「切り通し」地点まで戻り、小休止してムスビを食べる。時間的に早いので、「弘法山」に戻る前に「吾妻山」にも寄ってみることにした。 |
|
10時、「鶴巻温泉への分岐」で地図を調べ、これが「吾妻山」への道と確認し、左折して遊歩道のような幅広道を東に進む。 20分ほど進むと前方に高みが無くなった・・??。地図を見直すと「吾妻山」はピークではないらしい。 峠地形の四差路や三分岐を通過して進む。この道も「関東ふれあいの道」だった。数人の中高年登山者と交差。 |
|
|
|
10時32分、緩く下った尾根先端の「吾妻山」に到着。 南〜東に展望があり、相模湾が見えた。小広場に「あづまや」があり数人の中高年登山者が休憩中。広場の「吾妻山」解説板には 「吾妻山 日本武尊は、東国征伐に三浦半島の走り水から、舟で房総に向かう途中、静かだった海が急に荒れだし難渋していました。そこで妻の弟橘比売は、・・海に身を投じられました。・・海は静まり、・・・征伐後、帰る途中相模湾・三浦半島が望めるところに立ち、今はなき弟橘比売を偲ばれ「あづま・はや」と詠まれた場所がこの「吾妻山」だと伝えられています。環境庁、神奈川県」と書かれていた・・が・・????。 |
|||
以前、読書家のE氏に教えられ、手元に置いた「山の名前で読み解く日本史(谷有二著)」によれば、 「吾妻山」は「古事記」「日本書紀」で、ヤマトタケルが妻を偲んで「吾妻はや」と絶唱したから、吾妻の国の語源になったという謎は、漢字の「妻」に引きづられている。吾妻というのは、中国風の宮殿様式、四面寄せ棟つくりの屋根、四阿(四つの傾き)造りのことで、人間の妻とはじつは関係がない。 と書かれており、この鶴巻の「吾妻山」もその山形が四阿造りに似ていることから名付けられたと考える方が説得性ありそうに思えた。(帰宅後、HPで調べると・・・「あづまはや」は古事記によれば「足柄山」から、景行記に拠れば「碓氷峠」から詠んだと書かれていた。環境庁名も記す解説板なら責任上、何に伝えられているのか記載するのが妥当では・・・。 10時37分、ムスビを食べて往路に戻る。分岐へ戻る途中、今日登った「高取山」への尾根が西に大きく眺められた。 |
||||
|
「弘法山」に近づいた地点で駐車場へのショートカット道路を見つけこれに進む。 駐車場近くの「めんようの里」で黒顔の綿羊に対面。 11時27分、車に戻る。 1時30分、無事帰宅。 |
|
|
|