群馬県の天気予報が「一日、晴れ」に好転したのに気づき、「遠距離の割に短行程、鎖場もある岩山」と云うことで万年候補にしていた群馬の「嵩山」に出向く決心が付いた。
なお、ガイド書には「所要時間2.5時間」と書かれているので、短時間で周回できた場合のことを考え、近くの「岩櫃山」の登山情報も用意。

◇所要時間: 3時間28
◇難度(マロンとして): 易+++▼+難 (不動岩と北向観音は岩下で待機)
◇マロンの日記:
 大天狗は最後の大岩下まで自力で登れました。この山は観光地の里山なのに道幅は狭いので、犬は登らないほうが良さそうです。

なお、中之条町公式サイトには
古代から祖先の霊魂を祀る山を「たけやま」と呼びます。嵩山(たけやま)は中之条盆地の各地から霊山として信仰を集めてきました。山をめぐって縄文式文化の遺跡も多く、神々の縁起を集めた「神道集」には、嵩山の神として子持山を妻とし、鳥頭明神を子供として吾妻地方の中心的な神となっております。  以下略   との説明があった。

 

330分、家を出て入間ICから圏央道に乗り、4時半頃に関越自動車道に移ったが、その頃には東の空が早くも明るくなり始めた。

530分、駒寄PAでマロンに朝食を与え、次の渋川ICを降り、国道353で「榛名山」北麓を西に進む。沿道の桜は満開状態。中之条町に近づくと「嵩山」が姿を見せた。

67分、「ふるさと公園 たけやま」の大駐車場に到着。気温は3度。「嵩山」中腹の男岩と公園の間にロープが張られ多数の鯉幟が吊り下げられていたが、今朝は無風で目刺し状態。

 

614分、準備を整え、鳥居を潜り山に向かう。公園には芝桜が絨毯のようにカラフルに咲いていた。朽ち始めた自然林の落ち葉を踏みながら山斜面を九十九折で登る。途中、道脇に「←展望台」標識を見つけ、これに従う。

628分、南斜面の木造展望台に立つ。南に「榛名山」の個性のある山々が望めたが遠景は春霞に包まれ始めていた。

 

 

展望台を後にし、コースに合流すると間もなく「蝙蝠穴→」標識。

山腹を緩く右に下ると大岩下にそれらしい洞穴。写真に収めてコースに戻り登る。ダンコウバイが黄色の花を見せる。この辺りの木々は芽吹きを始めていた。

「八合目」の標識通過。

 

641分、道脇の「八〜十番→」標識が右の露岩の山腹を指示。ガイド書には「八〜十番観音を過ぎて5分ほどで天狗広場へ」と書かれていたのでそれらしい踏み跡を見つけて大岩石帯の南面から山腹を東に巻いて進むと踏み跡は落ち葉の中に消え・・? この先に天狗広場???。大岩の上にも道を探したが前進不能。

652分、コースとは思えないので標識地点に戻る。結局、ガイド書の八〜十番観音を見つけられず、前進も不能と判断し、標識と反対方向のしっかりした山道に進む。一汗かいたので一枚脱ぐ。

 

654分、「天狗の広場」に到着。

アズマヤがあり、南の展望箇所に中之条町による「主要山域・鳥瞰図」が設置されていたが、今朝は春霞で近くの榛名山、十二ヶ岳、小野子山くらいしか同定できなかった。

水分補給して、「小天狗→」標識に従い西の高みに向かう。

74分、マロンを先頭に全員で石祠のある「小天狗」に立つ。

 

山頂からは東隣に中、大天狗の岩塊が続き、眼下には里の菜の花の黄色が目立った。

北の谷川岳の山々、西の志賀高原の山々はいまだに残雪を纏っていた。

 

眼下に「不動岩」が見えた。

小天狗より下にある「不動岩」は展望が劣るだろうと考えてパスしかけたが、再度訪ねる事は無さそうな山だし、時間にも余裕があるので登ることにして、小天狗の岩塊南の巾狭道を辿り下って不動岩へ向かう。

 

717分、「不動岩」下に到着。5mほどの岩塊に鎖が付いていた。

チームを代表して私が上ると、先ほどの「小天狗」が眼前に聳え、中、大天狗と続く山稜が形良く眺められた。

723分、鎖に頼り下りる。

 

「天狗の広場」に戻るべく、ガイド書に従って「小天狗」の北を回り踏跡を辿る。

729分、落ち葉の下から蕾を付けたカタクリが生えている「天狗の広場」の北斜面下に出てしまった。 (・・・不動岩からは往路を戻った方が良かった。) 若芽を踏まないよう注意して斜面を登る。

734分、「天狗の広場」に戻り、「中天狗」に向かう。

739分、「中天狗」手前のアズマヤ横で「胎内くぐり→」標識を見つけ、右山腹に回りこむと尾根先端の大岩の間に何と言うことのない隙間があり「胎内くぐり」看板が立っていた。写真に収めて往路に戻る。

743分、「中天狗」着。

ブッシュに囲まれた狭くて地味なピークでリョウブ、ブナの若木が芽吹きしていた。「大天狗」に向かう。

 

 

754分、コース右の小広場に71体の観音像がコの字に安置され、「御城の平」の標識。

ガイド書に拠ると・・・吾妻地方の領主・吾妻太郎斉藤越前守が、武田信玄方の上田城主・真田幸隆に攻められ没落し、その子・城虎丸(じょうこまる:18歳)を擁した吾妻衆が、上杉謙信の支援を受けて嵩山城に立てこもったが、永禄811月、激戦の末、一族は大天狗の岩から飛び下り自決し、落城。 この戦死者を弔い、元禄151702)年から坂東・西国・秩父の百番観音が建立され、嵩山全体が聖山として信仰の対象となりました。   とのこと。

 

758分、アズマヤのある広場、「経塚」に着き、人に出会わないように先ずは「大天狗」に登ることにする。

傾いた大岩盤には鉄鎖が付けられていたが、鎖に頼ることなくマロンに挽かれて岩盤斜面を息せき切って登る。

 

86分、山頂の大岩下に到着し、妻にマロンを託し、3mほどの鎖で岩上に立つと360度の展望だが見えた遠景は小天狗とほぼ同じ。

人の上ってこないうちにと「大天狗」山頂を後にする。

紐付きマロンを後ろに従え、鎖に頼らずに「大天狗」岩盤を下り切った。

827分、「大天狗」の西山腹に沿って北の「五郎岩」を目指す。途中、「烏帽子岩」横を通過し7分ほど細尾根を辿り、「五郎岩」前の潅木の岩混じり斜面を登る。

835分、「五郎岩」着。

ムスビを食べながら展望を楽しむ。近くには「小天狗」「中天狗」「大天狗」の稜線が形良く聳えて見え、東方には以前訪ねた小野子山、子持山が形良く望めた。

今日は「嵩山」だけで帰ることに決め、「北向観音」にも行くことにした。

 

 

846分、「五郎岩」下を時計回りに回りこみ進むと踏み跡が消え、右上の崖からロープが垂れていた。

ガイド書地図では「北向観音」は更に北に位置するように見えるのでロープ上の崖上に登れそうなコースを下から探っていたら、妻が「北向観音」はロープ付け根の右にあるのでは?」と言う。

半信半疑でロープを上ると、「五郎岩」北壁の抉れ箇所に目指す「北向観音」が安置されていた。

857分、写真に収めて往路を戻る。

 

95分、「経塚」へ戻り、「東登山道」で下山開始。破砕石の多い桧林の中の山道を下る。

912分、杉林の中に大きな岩壁が現れ、岩壁下に「一升水」の看板。オーバーハングの大岩壁の上から水滴が落ち続けていた。ここにも4体の観音像あり。

920分、「弥勒穴→」標識が左山腹の岩壁方向を指示。張られた鎖に頼らずに壁面を回り込むと岩壁中段に観音像が置かれ、その上に中程度の「洞穴」が見えた。下から写真に撮って下山継続。

 

駐車場が下に見えるあたりで今日始めての観光客と交差。

939分、公園に下りる。

942分、車に戻る。

 

110分、無事帰宅。

 

 

当日のGPS軌跡