群馬県の「稲含山」を訪ねるに当たり、「稲含」という山名の由来をHPやガイド書で調べてみたが不明。
またこの山の登山コース位置は昭文社地図、国土地理院地図、ガイド書いずれも異なり・・??GPSで記録を残し、何れが正しく表示されているのか試してみるつもり。

◇所要時間: 4時間24
◇難度(マロンとして): 易+++▼+難
◇マロンの日記
:通行止めの舗装路の往復7kmをフリーで歩かせてもらえてハッピーでした。

 

3時、出発。入間ICから圏央道に入り、関越自動車道、上信越自動車道と乗り継いで富岡ICを下りる。気温は13度でまだ真っ暗。県道46号線を南下。

528分、カーナビ指示に従い、秋畑集落先の砂利道に入る。標識はあるが暗いので見づらい。

531分、路肩に「全面通行止」看板を見つけ驚く。先に進んでみたが200mほど先で簡易ゲートに遮断された。カーナビを見ていた妻が「予定駐車地点まで残り3.5kmだからここから歩こう」と言う。

覚悟を決めて駐車可能地を探す。結局、「通行止」看板近くに5台ほど駐車可能な空き地を見つけ駐車。

 

61分、ほぼ、日の出時間で適度な明るさの中、準備を整えて舗装路に出発しゲートを通過。

 

69分、道路の崩壊箇所を通過。東の雲間の朝焼けを見ながら舗装坂道を進む。

619分、二つ目の崩壊箇所を通過。左の沢に路面が半分以上、崩れ落ちていた。

車や登山者に出遭う心配は無さそうのでマロンをフリーにして進む。路肩のサクラの葉が色づいていた。

623分、また道路の崩壊箇所を通過。

634分、地図に「登山口」と表示された空き地とトイレのある地点に到着。標識に従い右に分岐する舗装路に進む。空は9分どおり雲に覆われていたが、時々雲間から太陽がのぞく。

 

 

640分、進路前方に見える尖った山が「稲含山」らしい。前景の木々は黄葉。前方から西風が吹き込み気温は8度ほどに低下。

659分、道路全体が激しく崩落した箇所。

右崖に僅かな踏み跡を見つけ渡る。

 

その先の砂利道は40cm程の深さで幾条も抉られていた。台風による大雨の影響らしい。

73分、「正一位・稲含大明神」の額の架かったお社前を通過。最新の造営らしく見えた。

78分、この山行の駐車予定地点にしていた「神の池園地」に到着。

あずまやが立ち、道幅も広くて20台は駐車できそう。

この地点からマロンに紐をつけ、「稲含山山頂1.7km→」「一の鳥居0.3km→」標識に従って神の池横から山に入ると近頃は登山者が少ないのか山道が少し荒れていた。

 

マロンに水を飲ませようとザックを下ろしたら山斜面でガサゴソ草ずれの音。マロンがいきり立つ。紐を付けていて良かった。

720分、砂利舗装路を横断して「一の鳥居0.1km↑」標識に従い更に山斜面に進む。

723分、一の鳥居通過。「二の鳥居0.45km→」標識に従い檜林に進む。雲が切れ始めて太陽が差し込み始めた。

 

 

色づいた木々の上に稲含山が大きく聳えて見える。メジロの鳴き交わす声を聞きながら紅葉の落ち葉を踏みしめ、秋山の風情を楽しみながら登る。

731分、沢筋の「足元危険」看板前を通過。

丸太階段を登り、山腹を回り込んで「二の鳥居」通過。太陽を浴びながら東斜面を登っていく。

秋の雰囲気が気持ち良い。

 

759分、秋畑稲含神社に登り着き、境内に立てられた「稲含神社の起源」解説板を読む。

「稲含神社の起源」

稲含神社の祭神は豊稲田姫とされている。「稲含大明神御縁起」によれば、第28代安閑天皇の御代(530年頃)に創建されたといわれる。那須の中野 保家には、この縁起書の写本が保存されており、永正2(1505)3月と記されている。その文面には、豊稲田姫は印度の国から日本へ渡って、養蚕、稲作を日本に広めたとあり、また姫は稲含へ行って蚕を飼ったという伝説がある。・・・一部略・・・

豊稲田姫は、印度からの種子を持って来られるのに苦労され、どこに隠しても見つかってしまうので、口にんで持って来られたと言われている。以来、養蚕と五穀の守神として、今も多くの人が参詣している。

(甘楽町史)

山名の<稲・含>の由来が判って訪ねた甲斐があったと納得。

 

お社の右後ろに「稲含山頂0. 5km→」標識を見つけ山腹を右に回り、急斜面は丸太階段で登る。湿った落ち葉を踏みしめ、トラ縞ロープが張られている山の北斜面を回りこみながら進む。

810分、予定下山路コースへの分岐地点に着く。「クマ注意」看板も立っていた。

 

金網フェンスでガードされ、岩を抉った階段でお地蔵様前を登り、更に北斜面の山腹を丸木階段で登る。

 

816分、風が吹きこむ山上の「稲含神社」に到着し小さな境内で小休止後、山頂に向かう。雲間から太陽がもれ始めた。

820分、「稲含山山頂 1370m」に到着。

 

360度の展望が得られ、西から北の空が晴れているので浅間山、榛名山が雲の上に見え、その手前に空母のような荒船山、ギザギザの妙義山が同定でき、南には赤久縄山と御荷鉾山が近くに見えた。

 

ムスビを食べながら展望を楽しむ。山頂に設置されていた温度計は6度を表示。山頂周りのツツジは紅葉していた。

 

 

838分、下山開始。

844分、下山路への分岐点着。下山路には「下仁田町登山道→」標識。

明るい尾根筋を下る。往路に比べると歩き易い。ところどころ、岩が混じる山道を下る。

丸太階段も使い、下るに従って赤黄に色づいた木々が増えてきた。

92分、紅黄の落ち葉の積もった山斜面の赤い鳥居前を通過し小広場に出た。「一の鳥居→」標識に従い山道に進む。

910分、「一の鳥居」に着き、朝の往路に合流し更に下る。

917分、「神の池」まで下り、「憩いの広場」に戻る。疲労感が無いのでマロンをフリーにして荒れた砂利林道を下る。

 

927分、大崩壊地点の先に車が2台停まっていた。車から降りた現場監督風の人に「崩壊原因と改修予定」を尋ねると、台風9号が原因で改修はまだ県の査定待ちとのこと。修復は目処が立っていないらしい。

下山を継続しながらあの2台の車はどこから上ってこられたのかの疑問に囚われ二人で分岐路を探しながら下る。日当たりの良い舗装路でミカンを食べながら小休止。青空をバックに稲含山が形良く聳えて見えた。

 

102分、車が上れるような分岐路を見つけられないままに崩壊場所を通過 ???

1025分、車に戻る。

 

富岡ICに入る頃には全天、雲の無い快晴の空になっていた。

13時、無事帰宅。

 

 

帰宅後、今日の経路をPCに移し、昭文社地図、国土地理院地図、ガイド書地図とコースの比較をしたが、それぞれに不一致箇所が見られた。

私たちは現地標識に従って登降したが、私たちの使用コース以外にもコースがあるのかも・・・・。

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