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関東地方の降雪とその後の曇天続きに2週間ほど山行を控えていたら、元気印マロンが体力と気力を持て余しはじめたらしく、明け方3時ころから雨戸を引っかいて山行をせがみ始めた。 ・・・で、埼玉県なら林道の残雪が消え、登山口まで車で入れるだろうと、初代マロンが北から上った「伊豆ヶ岳」を今回は南の「天目指峠」から訪ねることにした。 ◇所要時間: 3時間34分 「天目指峠」名の由来::: |
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4時50分、出発。 一般道で青梅市に出て県道53号を北上し、名栗湖先の県道395号に右折。国道299号に向かうこの舗装林道は予想した通り、残雪が殆ど消えかかっていた。 坂を上りきった地点のアズマ屋前の空きスペースに駐車し、GPSをセット。気温はマイナス3度。 6時36分、秩父側に僅か進み、「←伊豆ヶ岳」標識に従い尾根を西に上る。3分ほど登った地点が元来の「天目指峠」らしく、山中に峠名標柱と「天目指峠の伝説」看板が立っていた。 |
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伝説概要は・・・「昔、この峠には竜神を祀る祠があり・・この神様の一族が鰻であったことから・・・穴沢の木樵がこの禁を破って鰻をとって食べ・・・竜神は大変怒って・・穴沢部落を押し流してしまいました。穴沢は峠から上名栗へ下る途中の集落です。環境省・埼玉県」 ・・・・・??? |
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桧林の尾根道は幹尾根に繋がるあたりで勾配がきつくなり、露出した木の根に助けられ登る。マロンは久しぶりの山行で動きが激しい。 尾根に抜け出ると北風が冷たい。 6時57分、岩混じりの小ピークを通過し、その先の「中ノ沢ノ頭」は巻き道で通過。冷風で凍った雪を踏みしめ登る。 7時18分、朝日を背に受け、ピークを目指し登る。 |
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7時25分、雪のピークには「高畑山695m」標識。 木立越し北に朝日を受けた「古御岳」と「伊豆ヶ岳」が重なって見えた。この先の下りは残雪が凍っていそうなのでアイゼンを装着。 この辺りの山には珍しく雪に鹿らしい足跡。 高度を上げると木立が透けて朝日が差し込み、雪が減った。体温が上がったので水飲み休憩してヤッケと耳覆いを外す。 |
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8時10分、「古御岳830m」に上り着く。穏やかな形の山頂にアズマ屋があり、北に「伊豆ヶ岳」が見えた。北斜面の雪道を下ると冷風が吹きこみ、ヤッケを脱いだのが悔やまれる。 8時18分、「伊豆ヶ岳」への上り開始。あまりに寒いので我慢が出来ず、ヤッケと耳覆いを再装着。ロープが張られた急坂を登る。雪が減ってきた。 8時27分、西に向かって「←山伏峠」標識板のある三分岐通過。 |
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8時30分、南北に長い山頂部をもつ「伊豆ヶ岳851m」に到着。先着登山者に挨拶すると「子の権現」へ下山するといって私たちの往路に下っていった。 山頂からは南〜西〜北に視界が取れ、周囲に山々が連なって見えるが、特に目を惹く山は見当たらない。冷風を避けてムスビを食べる。快晴ではあるが水平線あたりから早くも春霞が懸かり始めていた。 |
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山頂の「伊豆ケ岳」解説板には 伊豆ヶ岳の山名は、突峰状の山容によるアイヌ語の「イズ」から出たものと言われています。地元では、快晴の日、山頂に登ると遠く伊豆まで見えるからという「伊豆ケ岳説」、柚の木が多くあったからという「柚ケ岳説」、また昔、麓の湯の沢で温泉が湧き出ており、その前の山だからという「湯津ケ岳説」等、色々な話が伝えられています。 環境庁・埼玉県 |
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8時47分、下山開始。 9時4分、「古御岳」に戻りそのまま下山続行。先を急ぎたがるマロンに引かれ、途中で先行者を追い抜き、9時32分、「高畑山」に戻る。 10時10分、車に戻る。 12時10分、無事帰宅。 |