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紅葉と好展望狙いで北信州への遠征を計画したが、これからの1週間に好天予報日が無く・・・ ・・で、遠征山行は断念せざるを得なくなったが・・「明日、関東南部は晴れ」予報が出されたので急遽、頃合の山を物色して秩父の「城峯山」を今回は東から登ることにした。 ◇所要時間: 3時間40分 山頂と城峯神社間の尾根道では栗のイガに取り囲まれ、足裏を刺され動けなくなりました。生栗は好みのマロンですが、クリの実は全て森の獣に食べ尽されたらしく一つも残っていませんでした。 |
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3時30分、出発。 圏央道経由で2時間後、関越自動車道・花園ICを降りて国道140を西進。カーナビ指示で6kmほど先の「皆野寄居バイパス<有料410円>」に左折し、4つのトンネルを使い、「皆野長瀞IC」を出て国道140に合流(・・早朝だったので有料道路を使って国道140をショートカットする価値は無かった・・) 。 県道284に移り、9kmほど西進して「門平」村落先のカーブ地点で「←鐘掛城・城峯山 関東ふれあいの道」標識を見つけ、僅か戻って2台分ほどの路肩の駐車余地に駐車。 |
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6時、出発。気温は4度まで下がり寒い。 80mほど先の「←鐘掛城・城峯山 (関東ふれあいの道)」標識に従い、沢沿いの簡易舗装路を登る。(この先の山道分岐点までの林道脇に数箇所、駐車可能場所があった。) 6時9分、林道のカーブ地点の標識で沢沿いの山道に進み、6分ほど先でまた林道を横切る。 6時25分、砂利林道に合流して標識に従い僅か下り、又山道に分岐して山腹を九十九折で登る。 |
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6時38分、杉林の峠地形で水飲み休憩。体が温まったので薄着になり、進路を左に変えて尾根筋を上る。標高850m辺りまで上ると前方に高圧線鉄塔。 6時55分、鉄塔を回りこみ、木漏れ日を背に受けて更に尾根筋を登る。少し勾配が増し、丸太階段で登るようになった。途中の左山腹への「巻き道」は見送り、「鐘掛城」のピークを目指して尾根筋を上る。 |
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7時7分、「鐘掛城1003m」山頂に着く。 山頂に城らしい構築物は無く、ただ「戦国時代の山城」解説板があり ・・・西上州に支配権を確立した武田軍は永禄12年(1569)頃から数回にわたり上武国境を越え、秩父地方への侵略を行いました。ここ鐘掛城をはじめ城峯山の物見や周辺の山城が最も活躍した時代です。しかしこれらの山城は・・・・その後の豊臣秀吉の天下統一でその存在意義を失い廃城となりました。 環境庁・埼玉県 と記されていた。 |
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西には電波塔の立つ「城峯山」が近い。 丸太階段を下りきると「巻き道」が合流し、次の小ピークへの上りにも巻き道が分岐していたが尾根筋を登る。 7時19分、ピークからは北に展望あり。更に幅広の山道を西に進む。 7時25分、カーブした舗装路手前に大きなあづまや。現地標識は「石間峠」。 |
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「←山頂0.5km」標識に従い、舗装路を横切って進むと南に展望が開け、秋らしい景色の中に「武甲山」が望めた。左から朝日を浴びながら山頂を目指す。 7時36分、巨大な電波塔の立つ「城峯山1038m」に到着。 「一等三角点のある山」の解説板横で記録写真を撮り、マロンを励まし展望台に上る。 |
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8角形の展望台周囲には各々、写真パネルが掲示され、360度に展望できる山名が60以上も記されていた。この日は視界に恵まれ、殆どの山が同定できた。 7時51分、折角の機会なのでこの先の「城峯神社」にも立ち寄ることにし、尾根道を西に下る。 この自然林の尾根道には栗のイガが一面に散乱し、マロンは足を下ろす場所を見つけられなくなり私にSOS!!を発信。マロンの目力に負け、何箇所も抱いて通過。 |
途中、同年配男性の後を上ってきた女性にも挨拶すると・・・「かっちゃんの歩いて撮ったハイキング記録というHPを出しています」との挨拶。「ひょっとして山頂でパノラマ写真を撮っている方?」と尋ねるとドンピシャ。「実は我が家も・・」と言いかけると・・「マロンと山歩」は良く見ているとのことで思いがけない山中の出会い。 |
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8時8分、「城峯神社」へ下り、参拝後、陽だまりでムスビを食べる。境内の巨木モミジは僅かに色づき始めていた。 8時19分、帰路に着く。 山頂への尾根の上りの栗のイガ散乱場所では20kg近いマロンを抱えて登るのは大変だった。 9時7分、「高圧鉄塔」地点でムスビを食べながら小休止。 9時40分、車に戻る。 13時、無事帰宅。 |
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