マロンは風邪をひいたおかーさんに付き合い、山登りはしばらくお休みしていた。(おとーさんだけはこの間に徳乾山と瑞牆山に登り、瑞牆は可能性あるが乾徳山はマロンには無理と断定。)

セキも収まったおかーさんは諸条件を勘案し、精進湖畔の「三方分山」を復帰最初の山に選んだ。

 (三方分山の名はガイド書によると八坂、精進、小関の三村の境にたっていることによると書かれていた)

 

 

所要時間: 3時間30
難度(犬として): 易++▼++難
マロンの日記: 女坂峠までは砕石の混じる山道でしたが、その先は段差も少なく足に優しい山道でした。この山は落葉シーズンに登るのが良いみたい。

 

455分、星空の下、家を出る。

中央高速・河口湖ICを下りるあたりで裾野を大きく広げた富士山に対面。国道139号、358号線を進み、精進湖畔北岸で国道と分かれ200m先の小橋脇に「諏訪神社の大杉」案内看板を見つけ右折。

「中道往還」の説明板の立つ5台ほどの駐車スペースに車を停める。

「中道往還」とは これから登る山道も含まれる主要道で、解説板には

中道往還は古代から開かれていたといわれ、甲斐と駿河の国を結ぶ最短距離の街道です。・・途中略・・・古代、甲斐国の政治の中心が釜無川以東にあったことから、縄文・弥生時代には文化の道として、鎌倉時代には甲斐源氏の武田信義、安田義定らの武将が、戦国時代には武田信玄、織田信長、徳川家康等の名将が往来した軍用道として・・・・・以下略・・・・とあった。

 

725分、「中道往還」にスタート。集落の道を少し進むと、道脇に「精進諏訪神社」があり、境内の大杉と真っ赤に色づいたモミジが目をひく。となりに鄙びた「石花山竜泉寺」があり、境内前に無料駐車場があった。

737分、舗装路が急に細くなり、山道に変わる。

740分、大きな堰堤脇を登る。沢も3つほど丸太橋で渡り、斜面をクネクネ折り返しながら登る。

8時、背後下方に精進湖が姿を見せる。風も無いのに落葉が乾いた音をたてて散ってくる。

 

823分、女坂峠に到着。標高1050mに建つ標識には「三方分山1500m 五湖山3000m 上九一色村小関、精進湖3000m」。標識脇には首無し石像が3体。ガイド書には釈迦三尊らしいと書かれている。 私たちは「三方分山」への尾根道に進む。

835分、急な上り坂になる。

845分、小休止してマロンに水を与える。このあたりで例の看板に会うのかもと云いながら歩き始めると直ぐ「福岡かんだ猿」の看板に対面。何時か何処かでこの看板を木の枝に掛けている猿を見たいものだ。

855分、左右の稜線が前方に高まり、山頂に近づいた感じ。尾根筋のカラマツ、ブナ、ミズナラ林の下草は小笹に変わる。

 

93分、「三方分山(1422m)」山頂に到着。

山梨百名山の標識が立っている。気温は登り始めと変わらず0℃で無風。山頂南側の立ち木が払われていて精進湖を眼下に逆光で寒そうな富士山が大きく聳えている。西方にはカラマツ越しに雪の南アルプス。

冨士山を眺めながらムスビで中食。マロンにはご飯だけを相伴させる。

920分、下山開始。

928分、小さな鉄製のお社のある精進山から結構急な下りが始まる。アセビが多い。

935分、斜度は緩み右側はモミの植林。左手に富士山と精進湖を見るようになる。

940分、僅かに上り。後ろに三方分山がムスビ型に尖った姿を見せる。

950分、十字路の精進峠を通過し「精進湖畔」方向に下る。途中出会った中年夫婦が「100mほど下で栗を沢山拾った」と成果を見せる。私たちもと栗拾いに挑戦したが、この山の栗はイガが弾けず、苦心して開いても虫食いが多くて成果小。山道一面のイガを避けマロンを抱いて通過。

1025分、杉林を下る。

1035分、堰堤を越え下る。マロンが陽だまりの草むらを注視しているので覗くと小さな山カガシが逃げていった。

1040分、人家集落に下りる。

1045分、県営精進湖無料駐車場に下りきる。登山中は雲の多い天気だったが、下山したら青空が広がり始めた。精進湖畔の車道で登山口に戻る。

1055分、駐車場所に戻る。

帰路はカーナビにガイドさせて紅葉を見物しながら都留から道志に抜け220分、無事帰宅。

 

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