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山城跡で有名な甲府市の「要害山」に登頂後、長い鉄階段があるという「深草観音」へ寄り道し、下山後に梅林で有名な「不老園」も訪ねる計画を立て、木曜日の出発を決めた。 ◇所要時間: 3時間23分 |
要害山城は http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/yamanasi/kouhusi.htm#yougai のHPが参考になりました。 |
4時30分、出発。 中央高速を利用し、6時に「一宮御坂IC」を下りると残距離は17km。 6時37分、「←要害山」標識に従い、「積翠寺温泉・要害」の庭に進むと「要害山 史跡」石碑があり・・、 |
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城は山腹から主郭にいたる通路に沿って、枡形虎口や廓が複雑かつ連続的に敷設されているほか、竪堀や堀切を要所に設けて防御を固めています。 要害城は・・戦国期の山城の様相を今日に伝える貴重なもので、・・国の史跡として指定されています。> との説明文。 碑前の道で50mほど高度を上げると「←要害山」・「深草観音→」の分岐。左に上ると、この先から城跡が始まるらしく、「史跡境界」の看板。 |
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標高650mまで上ると、凹凸地に「竪堀跡」と「土塁跡」看板。 7時3分、コース右に「武田不動尊」石像。この先では更に「廓跡」や「門跡」が続く。 |
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7時13分、主廓部の正面玄関に当たると記された「門跡」先の広場に到着。 広場横には「武田信玄公誕生乃地」の石碑があり・・・ 大永元年、駿河今川家の家臣・福島正成が甲斐国に攻め込み、武田信虎は躑躅ヶ埼の居館を捨てて、この要害城に籠城・・・ |
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・結局、福島勢は要害城を攻め落とせず、撤退したのだが、この時身重だった武田夫人が籠城中に生んだ子が、後の武田信玄だった。との説明文。 山頂からの展望は・・南の山並みの上に富士山、僅かに開けた南西に甲府市街が望めたが、東〜北〜西は「兜山」、「棚山」、「帯那山」、「興因寺山」が視界を遮っていた。 |
7時24分、広場を後に、赤松林の細尾根に進むとこちらにも「堀切」や「竪堀」の地形が続く。更に尾根を東に進む。 7時40分、三分岐は「深草観音 岩堂峠→」標識に従い南へ進むと緩く下り始めた。 山腹を辿り、尾根先を左に回り込んで流水の沢を木橋で渡り、杉林を通過。 8時1分、再び、流水の沢を木橋で渡り、南へ進む。 |
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8時3分、三分岐の「深草観音0.3km →」標識に従い、窪地地形を東へ緩く上っていくと僅かに残雪。 8時18分、コース左に「皇紀二千六百年」と彫られた手水鉢があり・・、 その先の石灯籠の間に進むと、前方左の岩壁に40段ほどの鉄梯子。 |
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岩壁下に進むと、岩の窪みに7体の観音石像があり、傍らに 「深草観音 高い岩壁を穿ってつくられた観音堂で有名な深草観音は、別名、岩堂観音とも呼ばれています。 8時25分、先ず私が鉄梯子に挑戦。半分ほど上って下を見ると結構な高度感。 これは妻には危険と判断し、岩壁左の斜面から山頂を目指すことにし、途中で下り |
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岩壁左の踏跡のある急坂を上り(・・×)、大岩の背面に回り込むと、進路に虎縞ロープ。 ここを通過すれば前方の尾根に進めると判断し、急斜面の小木を掴んで幅狭尾根へ上ったが・・山頂は更に急斜面の上。 妻はここまでが限度らしいので、私だけが空荷で山頂を目指す。 一段上ると周りは複雑地形。梯子のあったと思われる方向のピークを目指す。 |
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8時43分、松に囲まれた山頂に到着。 山頂には観音石像があるものと思い込んで上ってきたのに、ピークには何もなく、ならば鉄ハシゴはと、眼下を探したが、これも見当たらずガッカリ!!。 南西に甲府の市街が見え、その先に「櫛形山」、その先に南アルプスの山々が見えた。 周囲の別のピークを探索する気力は起こらず、下山開始。 |
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8時52分、妻と合流し、補助ロープでサポートしながら下山続行。 9時17分、三分岐に戻り、「深草園地→」標識に従い、西へ沢沿いに下ると流水が始まった。 やがて山道は林道に変わった。 |
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9時41分、西へ下る林道から右山腹へ「要害山→」標識。この山越えルートには「深草観世音道」の石碑。 80mほどの高度差を我慢して乗り越し、その先で朝の往路に合流し、9時59分、要害温泉横に降り立つ。 10時、車に戻ると車は7台に増えていた。 |
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当初計画通り、帰路途中に 梅園で有名な甲府市東部の「不老園」に立ち寄って、青空の下の梅林の景観を楽しみ、 12時50分、無事帰宅。 帰宅後、「深草観音」をネット検索して調べると、 鉄ハシゴ先は岩穴に続き、その先の洞窟内に観音堂がつくられ、この場所への巻道として、鉄ハシゴの右の「アズマヤ」前の岩壁に鎖の付けられた迂回路があるらしいことが分かったが、・・既に後の祭り。 |
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